最高裁判所第一小法廷 昭和26年(あ)88号 判決 1952年2月14日
本籍並住居
三重県員弁郡丹生川村大字丹生川上五九七番地
露天商
小島幸雄こと
羽場幸雄
昭和四年二月二三日生
本籍
愛知県一宮市人形町一丁目一〇番地
住居
同県中島郡起町大字小信中島字柳枯草場一三番地
画工
左近一夫
明治四五年七月一四日生
右羽場に対する恐喝、職務強要、左近に対する窃盗、銃砲等所持禁止令違反被告事件について昭和二五年一一月二二日名古屋高等裁判所の言渡した判決に対し各被告人から上告の申立があつたので当裁判所は次のとおり判決する。
主文
本件各上告を棄却する。
理由
弁護人佐藤正治の上告趣意第一点について。
記録によると、被告人羽場は昭和二四年九月二〇日恐喝未遂事件(原判決判示第一の(一)の事実)の嫌疑により勾留状の執行を受け、名古屋拘置所代用監獄起町警察署に勾留されたのであるが、事件が複雑で関係者多数のため取調困難という理由で同年一〇月九日まで勾留期間が延期され、その期間終了の前日である同月八日右恐喝未遂事件で起訴せられたものである。そして第一審裁判所では、同月一九日の第一回公判期日が指定されたが、被告人の弁護人選任の都合、相被告人不出頭等の関係から公判期日は延期を重ね、同月二八日の第三回公判期日ではじめて事件の審理が為されるに至つたのである。しかるに同被告人が右の勾留中に犯した本件職務強要罪(判示第一の(二)の事実)で同年一二月一七日追起訴されたため同月十九日開廷される筈であつた第四回公判期日は変更され、翌昭和二五年一月一八日に開廷されることとなり、この公判において同被告人は右追起訴にかかる強要罪の事実につき原判決が証拠とした所論の自白をなしたものである。すなわち所論の自白は他の犯罪で勾留後四ケ月目本件犯行後一ケ月二〇日目に、なされたものであり、所論のように「一年近くに亘る……拘禁後の自白」ではない。そして事実の内容、手続の経過その他諸般の事情を勘案すれば所論の自白は必ずしも不当に長く拘棄された後の自白といい得ないものであることは、昭和二二年(れ)第三〇号同二三年二月六日の大法廷判決(判例集二巻二号一七頁以下参照)の趣旨に照らし明らかである。されば原判決には所論のような違法はなく論旨は採用できない。
同第二点について。
所論は憲法違反を云為するけれどその実質は単なる訴訟法違反を主張するものであり刑訴四〇五条所定の上告適法の理由に該当しない。
なお記録を精査しても本件では同四一一条を適用すべきものとは認められない。
よつて刑訴四〇八条に従い裁判官全員一致の意見で主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 岩松三郎 裁判官 沢田竹治郎 裁判官 真野毅 裁判官 斎藤悠輔)